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對龍山荘庭園 京都の庭園 50音順一覧 南禅寺界隈の庭園 紅葉の對龍山荘
【所在地】左京区
【地域】南禅寺界隈の庭園
【庭の形態】実業家の庭、池泉庭園
【作庭者】七代目小川治兵衛
【作庭時期】明治28年(1905年)頃
【面積】大規模
【所有者】伊集院兼常 → 呉服商・市田弥一郎 → 市田株式会社 → 2010年からニトリホールディングス
【訪問日】2024年12月 → 紅葉の風景
【公開形態】一般公開(2000円)
【撮影】自由
【文化財】庭園は国指定名勝、主屋は重要文化財
【公式サイト】對龍山荘庭園
→紅葉の對龍山荘
南禅寺界隈の別荘群を構成する一つである對龍山荘(たいりゅうさんそう)。2010年にニトリホールディングスが購入し、主に社員用の保養施設として使われてきたようですが、似鳥昭雄会長の「名園を広く一般の人に」との判断で、一般公開されることになりました。
庭を手がけたのは七代目小川治兵衛(植治)。南禅寺周辺には植治の作品が多く残されていますが、ここ對龍山荘の庭は他の庭よりもスケールが大きく、実際に訪れてみると想像以上の美しさ!桂離宮と同じように一歩進むたびに庭の趣が変わり、どこを切り取っても絵になります。
たまたま訪れた日(2024年12月1日)が快晴で、紅葉が真っ盛りという条件が揃ったため、さらに庭の美しさが際立ったのかもしれませんが、とにかく庭そのものが素晴らしい!
どの季節に訪れても感動を与えてくれると思います。
對龍山荘こそ、植治の理想とした庭(自然に限りなく近づく人工の造形、旧態依然とした江戸時代前の庭から開放的なランドスケープへの進化)に最も近い形かもしれません。
庭園北側(大池周辺)
松枝の間から望む東山連峰。ちょうどこの位置に月が昇り、鑑賞できるように木々の配置も考えられているとか
大池の中島につながる石橋と中島。中島が「亀(島)」、石橋が「鶴(の首)」を表しているそうです。
確かに言われてみれば、亀と鶴の首に見えなくないですね・・・・。
風車と滝石組と池に浮かべられた小舟。日本の原風景を表す完璧な構図
庭園南側
庭園南側は芝生などが広がる広々とした景観
大池が大きな存在感となっている北側と比べると少しインパクトに欠けるかもしれませんが、こちらの方が「明るくて開放的な庭」を目指した七代目小川治兵衛の理想を体現している印象も受けます。
南側の庭で目を引いたのは清冽な泉とその傍らに立つ切支丹灯籠。この一画だけでも、他の多くの庭とは一線を画す美しさでした。
主屋、對龍台周辺
陽光が池泉庭園に反射して庇にゆらゆらと光の水紋をつくりだす午後
對龍台を支える見事な石組みと沢渡り。文字通り「縁の下の力持ち」で、大きな存在感です。
茶室「聚遠亭」の外腰掛けと、遣り水の中に置かれた流れ蹲踞(つくばい)對龍山荘は当初、薩摩藩士出身で後に実業家として成功した伊集院兼常の別荘として作られました。
對龍山荘の名前の由来は「瑞龍山(南禅寺の山号)の對(対)に位置する」ことから。
南禅寺界隈に政治家や実業家の邸宅や別荘が集まっているのは、明治政府が南禅寺の土地を民間に払い下げるよう命令したことがきっかけ。對龍山荘も元は隣接する金地院の境内でした。
伊集院兼常の旧宅(現・廣誠院)
伊集院兼常の手を離れてから、對龍山荘は京都の呉服商・市田彌一郎が所有します。このとき(1905年=明治38年頃)に七代目小川治兵衛(植治)が作庭を手がけました。書院(對龍台)、茶室(聚遠亭)、居室で構成される主屋もこの時期に作られたようです(東京の大工『島藤』こと島田藤吉が築造)。
その後對龍山荘の所有者は市田彌一郎、市田株式会社の時代を経て、2010年にニトリホールディングスに移ります。
2024年12月時点では不定期の公開ですが、25年からは完全に一般公開の形となり、同年春からは主屋も公開されるとのこと。ニトリの似鳥昭雄会長の英断で、この素晴らしい庭をいつでも観ることができるようになるのは、本当に喜ばしい限り。
名勝の庭や国宝の建造物を頑なに非公開にしている所有者も多いですが(防犯上の理由などもあるとは思いますが)、国指定の文化財はやはり一般に公開してこそ本来の意義があると思います。
東山を借景にした広大で開放的な美しさだけでなく、細かい部分の造形も緻密に考えられた構成。
この庭を維持していくのは大変なことと思いますが、今後も一般公開が続くことを期待して――。
→紅葉の對龍山荘
對龍山荘の向かいは、こちらも七代目小川治兵衛の庭が美しい高級旅館、レストランの「菊水」。新緑も紅葉の季節も、ともに美しくお勧めです。サービスも完璧
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